バリ島の余韻
- satomiohno
- 2017年2月16日
- 読了時間: 4分
バリ島はとても”余韻”を残す島だと思っています。
私が初めてバリ島へ行ったのは小学校6年生の時でした。
当時姉がアジア各国を旅してしていて、バリ島がとても良いところだよという話から、
その年の家族旅行がバリ島に決まりました。
当時看病中の祖母がいましたが、父がみているから行っておいでと言ってくれて、
もう一人の姉と私の2人で先に出発し、後から母が合流しました。
ウブドのホテルに着いたのは夜だったので外の景色は真っ暗で分からず、
日本では聞いたことのない虫やカエルの大合唱に期待が膨らむばかりでした。
次の日の朝が楽しみで楽しみで仕方なかった。
そして翌朝。
薄いカーテンを開けたときに目に入った生き生きとした田んぼの緑と、たくさんの鳥の鳴き声、
湿度のある空気を感じたときの感動は、今でもしっかりと覚えています。
そしてそのバリに着いた翌日の感動って、今もその時と変わりません。
その時の事を身体の細胞が思い出すかのように、着いた翌日の朝は今になっても特別な思いを感じます。
何度バリに行っても、あの時初めて感じたのと同じ感覚を鮮明に感じられるのが、バリの不思議なところだと思う。
観光は主にウブドでした。
ウブド王宮でバリ舞踊を鑑賞し、それが初めて見たバリ舞踊でした。
眩しいほどの金色の衣装と、ギョロッとした大きな目の動き。
お面の目が飛び出ている毛足の長い聖獣(バロン)が出てきた時もすごい衝撃だった。
当時クラシックバレエを習っていた私は、そんなバリ舞踊の独特さに少しの恐怖を感じるほどのカルチャーショックを受けました。
宿泊したのはロスメン(バリの安宿)だったので、オーナーに村のお祭りに連れて行ってもらってそこでバリ舞踊を見たり、
オーナーの知り合いに3日間くらいバリ舞踊のレッスンもしてもらいました。
帰国した後もバリ島の事がずっと頭から離れず、毎日毎日思い出し、
姉が旅行や仕事でバリへ行くと言ったら羨ましくて泣いてよく姉を困らせました。。。
中学生の私にはまたバリへ行くなんて現実的ではなかったし二度と行けないんじゃないかくらいに思っていたので、本当に羨ましかったんです。。
その後もう一度旅行で訪れたのち、一人でバリ島へ行くようになり、留学をし、今に至ります。
思い出話になってしまいましたが、振り返るとバリの”余韻”って強いなぁと、つくづく思うのです。
バリ島に着いた翌日の朝の5感を刺激する感覚も、全て”余韻”として体に残るし、ガムランの反響する音もしばらくの間耳に残ります。
ふとした時に香る花やお香の香りも鼻の奥に残るし、バリ舞踊の動きやその場の空気感は目だけでなく心にもとても”余韻”を残します。
何でこんなに感覚に残るんだろう、と考えていた時に、
それは「目に見えないもの」がバリでは信じられていて、日常的に存在しているからなのかな、と思いました。
祈りや感謝の気持ちが常にあるからこそ、「ただの物体」として存在しているものはとても少ない。
例えばどんなに小さなお供え物一つにも意味があって気持ちがこもっているし、
指揮者のいない演奏は常に周りを感じながら演奏するし、踊りもそれを感じながら踊る。
そういうものが島中に溢れているから、心に残るものが多いのかな、と思います。
”何かを強く信じる気持ちと、それを受け入れる気持ち”ってどんな時も大切だとバリは教えてくれたような気がします。
それがうまく調和したときに、余韻が生まれるんだろうと思います。
私は初めて行ったバリですっかりその余韻に惹かれ、バリへ行く度にその余韻は大きくなり、
そしてこれからもずっとそこに惹かれていくんだろうなぁという気がしています。

師匠の家の家寺。
日本では行事が終わればすぐに掃除をして使う前よりも綺麗にして帰りましょう!というのが習慣的だけど、バリだとしばらくそのまま。。
でも、この人の気配はないのにそこで確かに何かが行われていたんだな、と感じさせるこの光景にとても余韻を感じます。


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